★夢街通信 Letter from Dreamsville
Altogether Alone 〜 HIRTH MARTINEZ Summer Tour 2010
7月12日(月)長崎・旧香港上海銀行記念館
open 18:00/start 19:00
前売¥4,800 当日¥5,300(ドリンク別)
オープニング・アクト:Kenichi Shibata Ensemble
(問)プレイタイム・ロック playtime6009@gmail.com
7月13日(火)名古屋・得三
open 18:30/start 19:30
前売¥5,000 当日¥5,500(ドリンク別)
(問)TOKUZO 052-733-3709 http://www.tokuzo.com/
7月14日(水)神戸・ウィンターランド
open 18:30/start 19:30
前売¥5,000 当日¥5,500(ドリンク別)
(問)ウィンターランド 078-252-8030
7 月15日(木) 東京・表参道FAB
7 月16日(金) 東京・表参道FAB
open 18:30/start 19:30 前売¥5,000 当日¥5,500(ドリンク別) (問)FAB 03-5772-8566 http://www.fab-web.net/
7月19日(月・祝)函館・金森ホール
open 17:00/start 18:00 前売¥5,000 当日¥5,500 (ドリンク別)
*オープニング・アクト:ムジコ、花かるたアンリミテッド
(問)水花月茶寮 0138-45-6737
メール予約 red-caps@hotmail.co.jp
■東京公演の前売り券、ぴあ&ローソンで発売中 !
■長崎公演の前売り、メール予約受付け中 !
■神戸公演・名古屋公演の前売り券発売中 !
■函館公演の前売り、メール予約受付中!
企画制作:Coconut Grove Inc./Believe In Magic Inc.
2010年4月17日
#009. POPEYE
バーバンク・ポップスの傑作サントラ盤『POPEYE』世界初CD化!
ニルソン、ヴァン・ダイク・パークス関連音源の中でも人気が高い映画『POPEYE』のオリジナル・サウンドトラック盤がこの度、4月23日に世界初CD化となる。これはうれしい。
『POPEYE』はアメリカの人気コミックの実写版で、公開は1980年。監督は『M☆A☆S☆H』、 『NASHVILLE』のロバート・アルトマン。主演は、ロビン・ウィリアムス(ポパイ)とシェリー・デュヴァル(オリーヴ)。なんと言ってもニルソンが書き下ろした曲をヴァン・ダイクが編曲という黄金コンビによる劇中音楽が素晴らしい。演奏もヴァン・ダイク(ピアノ)、ダグ・ディラード(バンジョー)、クラウス・フォアマン(ベース)、レイ・クーパー(パーカッション)等が担当。彼らは、映画の様々なシーンにも登場しており、DVD(米で発売済み)で確認するのも楽しい。
1988年にヴァン・ダイク・パークスの初来日を企画した際、コンサート直前に鈴木惣一朗くんと小西康陽くんら熱心なヴァン・ダイク~バーバンク・ポップス・ファンが中心になって、映画『ポパイ』の上映会/トーク・イベントをやったこともあった。その頃、『ポパイ』のオリジナルLPは既に廃盤だったが、カット盤が入手可能だったので、私がいたパイドパイパーハウスでは、常備在庫として切らさないようにしていた。おそらく4~5百枚は売れたと思う。
サントラ盤収録曲の中でもやはり「ヒー・ニーズ・ミー」がベスト・トラックだろう。シェリー・デュヴァルの舌足らずの歌声がとてもキュートだ。この曲、後に映画『パンチドランク・ラヴ』(2002年)にも使われていた。いつか、「ヒー・ニーズ・ミー」をヴァン・ダイクのプロデュースで女性シンガーに再演してほしいと思っていたのだが、そんな想いが通じたのか、去年出たクラウス・フォアマンのアルバムの中でイナラ・ジョージ(ヴァン・ダイク編曲)が歌っていた。さらに先日のヴァン・ダイク+クレア・マルダーのライヴでも披露されていた。共にいい出来だ。
今回の再発(紙ジャケット)に際し、ヴァン・ダイク・パークスのロング・インタビュー&曲目解説を掲載した24ページのブックレットが付く。
2010年3月3日
#008. LOVE THE ONE YOU'RE WITH
YouTubeをチェックしていたら、2008年10月のパリ、オランピア劇場でのスティヴン・スティルスのライヴ映像があった。ひと頃より体重落としたみたいで、かなりスリムになってるのにまずビックリ。曲はお馴染み「愛への讃歌(ラヴ・ザ・ワン・ユー・ウィズ)」。ドラムはジョー・ヴィタール?それになんと!ゲストにクリス・スティルスとヴェロニク・サンソンを迎えての演奏だ。息子とその母親で元妻のスリー・ショットの図はなかなかレアだが、これもパリ公演ならではの粋なサプライズなのだろう。
スティルスとフランスの人気歌手サンソンが夫婦だったのは、70年代。結婚後に出したスティルスのアルバムに入っていた「マイ・フェイヴァリット・チェンジズ」は、サンソンのことを歌った熱烈な愛の歌だった。ほかにも新妻に捧げた曲がいくつかあったと思う。なにせスティルスの作品には、歴代の恋人、奥さんへの「讃歌」、「未練歌」が随分たくさんある。最も有名なのはジュディ・コリンズのことを歌った「青い目のジュディ」(CS&N)だろう。
ソロ初期時代、ヴェロニク・サンソンに出会う前に書いた「チェロキー」、「シット・ユアセルフ・ダウン」、「ザ・レイヴン」、「シュガー・ベイブ」等は全て、当時の恋人、リタ・クーリッジのことを歌ったもので、「シュガー・ベイブ」には実名も織り込まれている。クーリッジをめぐっては、スティルスとグラハム・ナッシュの間で恋のさやあてがあったようで、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの解散の一因ともなったと言われている。そんな実情を歌ったのが、デヴィッド・クロスビーの「カウボーイ・ムーヴィ」だった。
リタに関しては、60年代末から「デルタ・レディ」と呼ばれ、L.A.スワンプ一派のアイドル的存在だった。「ア・ソング・フォー・ユー」、「デルタ・レディ」(ジョー・コッカーでヒット)、「ハミングバード」等は、当時、恋仲だったリオン・ラッセルが彼女への想いを歌にしたものだ。ちょっとゴシップネタみたいになったが、長年、聴き親しんできた楽曲もそのバックグラウンドを知ったうえで聴くと、また違った印象を受けるはず。
2010年1月29日
#007. ALAN O'DAY
2010年1月1日(元日!)に目出度く世界初CD化(紙ジャケット/SHM-CD)されたアラン・オデイの『アペタイザー』(1977年)と『オー・ジョニー』(1979年)。アランは、1977年の全米NO.1ヒット「アンダーカヴァー・エンジェル」を歌ったシンガーとして、1974年のヘレン・レディの NO.1ヒット「アンジー・ベイビー」の作者として、知られるシンガー・ソングライター。我が国のポップス・ファンの間では、山下達郎の英語詞のパートナーとしてもよく知られた存在だ。
アラン・オデイと山下達郎の最初のコラボレーション作品は、1977年の竹内まりやのロス・アンジェルス録音アルバム『Miss.M』に山下が提供した「Every Night」。この英語詞を書き、コーラス/コーラス・アレンジを担当したのがオデイだった。これがきっかけとなり、山下達郎とアラン・オデイのコラボレーションは今日まで、30年にわたって続くことになる。ふたりの共同作業による作品は、主なものだけでも『For You』(1982年)の「Your Eyes」、『BIG WAVE』(1984年)の「Theme From Big Wave」、「Only With You」、「Magic Ways」、「悲しみのJODY(She Was Crying)」、『僕の中の少年』(1988年)の「Girl In White」(14 カラット・ソウルへの提供曲)、『Cozy』(1998年)の「Fragile」、ア・カペラの傑作シリーズ『On The Street Corner 3』(1999年)収録の唯一のオリジナル曲「Love Can Go The Distance」等がある。「クリスマス・イブ」のオフィシャル英語ヴァージョンやニック・デカロが「LOVE STORM 」のタイトルでカヴァーした「SPRINKLER」等もそうだ。
海外アーティストによる山下達郎作品の英語カヴァーは数多いが、そんな中でも単なるカヴァーを超え、ポップス作品として成立しているのは、ニック・デカロ、MFQ、ジェフリー・フォスケット等、ごく僅かしか思い浮かばない。
MFQ(モダン・フォーク・カルテット)が「クリスマス・イヴ」をカヴァーした背景には、彼らと山下達郎の浅からぬ因縁がある。1976年、山下達郎が渡米、デビュー・アルバム『サーカス・タウン』をレコーディングする際、ロス・アンジェルス・サイドのプロデュース、アレンジを担当したのが、MFQ~ラヴィン・スプーンフルのジェリー・イエスター。さらに1984年に山下がカヴァーした「This Could Be The Night 」(ハリー・ニルソン、フィル・スペクター)は、MFQがオリジナルだった。このような経緯もあったことから筆者が1988年、MFQの初来日を企画した際、彼らに「クリスマス・イヴ」をカヴァーすることを提案。すぐには実現しなかったが、6年後のアルバム『ハイウェイ70』制作時にMFQによる見事なカヴァー・ヴァージョンがようやく完成することになる。
ジェフリー・フォスケット(元ビーチ・ボーイズ・バンド)による「踊ろよ、フィッシュ」のカヴァー「フィッシュ!」も山下~ビーチ・ボーイズの両方のファンを唸らせる見事な出来映えだった。これは、1996年、サントリー・ビアカクテルのTVCF用にレコーディングしたもので、もちろん、アラン・オデイが新たに英語詞を書いたものだ。 「悲しみのJODY」や「ドリーミング・デイ」等、ジェフリーに歌ってほしい山下作品はまだまだある。 そのうちきっと。
2009年12月29日
# 006.
ROGER TILLISON with Rallypapa & Carnegiemama
夢街名曲ミュージアムで取り上げたラリーパパ&カーネギーママの作品を収めた彼らの2003年のアルバム『Last Album』。同アルバムのライナーノートを書いていたのが、スワンプ・ロック伝説のアーティスト、ロジャー・ティリソンだった。同年6月にロジャー・ティリソンが初来日し、クラブ・ツアーを行った際、オープニング・アクト及びバック・バンドをラリーパパが務めた縁もあり、ライナーを寄稿してくれたというわけだ。
ロジャー・ティリソンを訪ねてオクラホマ・シティに行ったのは、2003年の2月のことだった。メールと電話のやりとりは何度も交わしていたが、実際に会うのはこの時が初めて。なのに初めて会った気がしないのが不思議だ。ファースト・アルバムのジャケット写真から無骨なイメージを勝手に抱いていたが、とても気さくな人柄で何十年も前からの友人のように接してくれる。2日という短い滞在だったが、彼の新作『Mamble Jamble』の日本発売の打ち合わせやインタヴューを行ない、新作がレコーディングされたスタジオを訪ねたり、ジェシ・エド・デイヴィスのWashitaプロダクションが由来するWashita川に連れて行ってもらったりと、とても濃い時間を過ごすことができた。
帰国前夜には、彼の友人たちを呼んでフェアウェル・パーティを開いてくれたのだが、その中には、ロジャーの古くからの音楽仲間であるジュニア・マーカムやウォルト・リッチモンドらも。ジュニア・マーカム=ジミー・マーカムは、ジェシ・エド・デイヴィスやリヴォン・ヘルム、ボビー・キーズ、チャック・ブラックウェル、ロジャーも参加していた伝説のジミー・マーカム・タルサ・レヴューのリーダー(ハーモニカ/ヴォーカル)だ!60代半ばと思える今も音楽活動を続けており、その時、もらった新作もブルース魂あふれる力作だった。ウォルトは、ロジャーの新作セカンド『Mamble Jamble』のプロデューサー。ボニー・レイットやドゥービー・ブラザーズの曲も書いているソングライター、キーボード奏者としても知られ、リック・ダンコ(ザ・バンド)のソロ初来日公演にも同行したタルサのヴェテラン・ミュージシャンだ。私が70年代にジェシ・エド・デイヴィスに会ってインタヴューしたことがあると言うと、身を乗り出し、嬉々としてジェシの昔話をしてくれた。その話しぶりから彼らにとって、やはりジェシは特別な存在なのだということが伝わってきた。
帰国後の4月に『Mamble Jamble』をドリームズヴィルからリリース。6月には初来日公演が実現する。来日公演をやろうと考えた時、バック・バンドとして白羽の矢を立てたのがラリーパパ&カーネギーママだった。ロジャーにとってみたら息子のような若い世代だが、アメリカン・ルーツ・ロックをこよなく愛する彼らならきっと期待に応えてくれるだろうと確信したのだ。バンド編成で演る曲をロジャーと決め、来日の前までにラリーパパだけでみっちりリハーサルを行なった。準備万端整えて臨んだ来日公演、前半の弾き語りに続いて、登場した彼らはロジャーのバックという大役を見事に果たし、耳の肥えたスワンプ・ロック・ファンにも評判は上々だった。
そんな世代も国境も超えた日米ロック交流は、ロジャーだけにとどまらず、2005年にはマーク・ベノのバック・バンドとして、狭山で行なわれたハイドパーク・フェスティヴァルにも登場、ここでも素晴らしい演奏を繰り広げてくれた。2007年、残念ながらラリーパパ&カーネギーママは解散してしまったが、その後もメンバーそれぞれが新たな音楽活動を続けている。いつかロジャーの再来日公演を企画した時は、また彼らに集まってほしいと思っている。
2009年11月28日
# 005. CARNATION“Velvet Velvet”
「長門さん、ごぶさたしています。ようやく3年ぶりの新作が出ました!
今回かなりいいアルバムになったと思います。いかがでしょう。ぜひ聴いてください!」
直枝政広(カーネーション)
昨年、結成25周年を迎えたカーネーションだが、5→3ときて、遂にスティーリー・ダンと同じ2人になってしまった。が、心配ご無用。強力なサポート(中原由貴、宮田繁男、渡辺シュンスケ、大野由美子ほか)を得て、またまたヘヴィー・ローテーション必至のゴキゲンなアルバムを作ってくれた。躍動感あふれる演奏に圧倒され、キャッチーなリフ、心地いいビートに酔う。いつもながらホットでクールな歌にはホレボレする。「かなりいい」どころか、痛快至極、とてつもなくいい。これで、いい年越しができそうだ。おつかれさま、そしてありがとう。
長門芳郎
2009年10月21日
# 004. Peggy Lipton-2
1968年当時のアメリカの雑誌の記事によれば、トパンガ・キャニオンの自宅には、作曲用のアップライトのピアノがあり、レコード棚には、ボブ・ディラン、ビートルズ、ママス&ザ・パパス、サイモン&ガーファンクル、ドノヴァン、エレクトリック・フラッグ、クリームなどのLPがあったと書かれているが、もちろん、ローラ・ニーロのアルバムも愛聴盤であったに違いない。
ロング・アイランドで過ごした少女時代、「MURRAY THE“K”」や「JOCKO'S ROCKET SHIP SHOW」などラジオから流れるフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ、ディオン&ザ・ベルモンツ、カプリスに夢中になり、アラン・フリードのロックンロール・ショーを観にブルックリンのパラマウント劇場にも通ったという。オールド・ロックンロール、ドゥーワップからジョニー・マティス、ジョン・コルトレーンまで、結構オマセな音楽趣味と言えよう。自分で曲を書き始めたのは、16才の誕生日(1963年)に両親にピアノを買ってもらってから。カリフォルニアに移り、女優として活動しながらも合間を縫って、ローラ・ニーロやキャロル・キングの楽譜集をテキストにピアノの練習をし、ソングライティングの勉強をしたという。好きなソングライターとして、ローラ・ニーロ、キャロル・キング、そして自分自身を挙げている。
彼女の才能に気付いていた友人が、レコード・デビューを勧め、68年当時、カリフォルニアの音楽界で活躍していたふたりの大物プロデューサー、テリー・メルチャーとルー・アドラーにアプローチをする。テリー・メルチャーとの話はうまく進まなかったようだが、彼女の才能(と美貌)に惹かれたルー・アドラーによって、レコード・デビューが実現する。ペギー・リプトンのデビュー・アルバムは、そのルー・アドラーが同年、ダンヒル・レコードをABCに売却後、設立したODEレコードから1968年末に発売された。制作費に15万ドルをかけたと言われており、当時、新人歌手としては、異例のビッグ・バジェット。因に、同じODEレーベルからリリースされたキャロル・キングの『つづれおり(TAPESTRY)』の制作費が1万5千ドルと言われてるから、その10倍。残念ながら好セールスを記録することはなかったが、オリジナル・リリースから40年以上経った現在も美女ジャケの代表作として、女性ポップ・ヴォーカルの傑作アルバムとして、音楽ファンの間で熱く語られ、愛聴され続けている。
幻のセカンド・アルバム『Wear You Love Like Heaven』の存在が囁かれているが、真相はわからない。おそらくは制作途中で暗礁に乗り上げ、未完に終わったものと思われる。ドノヴァン作「Wear You Love Like Heaven」やジミー・ウェッブ作・編曲の「Red Clay CountryLine」、ローラ・ニーロ作「Lu」、バリー・マン&シンシア・ワイル作「Just A Little Lovin'」等、デビュー・アルバム未収録のシングル曲があり、更に未発表だが、某大物のカヴァー曲(超絶の美しさ!)もある。これらの曲をボーナス・トラックに加えたコンプリート盤のリリース、いつか実現させたいものだ。
『ようこそ夢街名曲堂へ!』スペシャル公開録音2009開催!
2001年からK-MIX(静岡エフエム)で放送を続けている音楽番組『ようこそ夢街名曲堂へ!』の恒例となりました公開録音イヴェントを今年も11月1日(日)に東京・表参道 FABにて開催致します。今回は通算放送450回記念としまして、EPO/杉 真理/告井延隆(センチメンタル・シティ・ロマンス)/山田稔明(GOMES THE HITMAN)の4組をゲストにお迎えし、レギュラー陣とのスペシャル・トーク、そしてこの番組ならではのアコースティック・ライヴ2本立てを予定しております。もちろん、お楽しみのスペシャル・セッションも!チケット好評発売中。
どうぞお見逃しなく!
■放送450回記念 『ようこそ夢街名曲堂へ!』 スペシャル公開録音 2009
○日時:2009年11月1日(日) OPEN 15:30/START 16:00 (終了 20:00予定)
○司会・進行
長門芳郎、土橋一夫
○ゲスト(トーク&ライヴ)
EPO/杉 真理/告井延隆(センチメンタル・シティ・ロマンス)/山田稔明(GOMES THE HITMAN)
○会場:東京・表参道 FAB
(渋谷区神宮前4-2-12 WES/東京メトロ表参道駅A2出口から表参道ヒルズ方面へ向かい、
伊藤病院の角を右折してすぐ右手)
◆チケット:前売 4,000円/当日 4,500円(税込/1ドリンク別途500円)
◆チケット発売:9月下旬から以下にて発売
・表参道 FABホームページ(http://www.fab-web.net/) ※9月19日(土)予約受付中
・チケットぴあ TEL:0570-02-9999 ※9月27日(日)発売中
・ローソンチケット TEL:0570-084-003 ※9月27日(日)発売中
●お問い合わせ:表参道 FAB
TEL:03-5772-8566/ info@fab-web.net
表参道 FAB ホームページ http://www.fab-web.net
「ようこそ夢街名曲堂へ!」公式ブログ http://d.hatena.ne.jp/yumemachi/
※なおこの公開録音イヴェントの模様は、K-MIXにて以下の日時に放送予定です。
2009年12月19日(土)&12月26日(土) 21:00~21:55
2009年9月25日
# 003. Peggy Lipton
国内外のアルバム/CD再発に関わるようになって随分経つ。長年の夢が叶いCD化できたものもあれば、中には実現しないまま今日に至るものもある。その筆頭がこれまでにも何度か取り上げてきたペギー・リプトン唯一のアルバム“PEGGY LIPTON”。1968年にODEレーベルからリリースされた作品だ。
リプトンは、60年代末に放映されていたテレビ・シリーズ“モッズ特捜隊(THE MOD SQUAD)”(1968年~1973年)でヒッピー特捜刑事ジュリー・バーンズを演じ、大ブレイク。アメリカ西海岸の「愛の夏」の余韻の中、そのフラワーチャイルドらしい奔放な野性味とクールさを持ち合わせたミステリアスな魅力で世界中の若者たちの心を鷲掴みにし、60年代末期~70年代初期アメリカのポップ・カルチャーのアイコンとなった。少女たちは、彼女のようになりたいと願い、男たちは彼女とデートしたいと妄想を脹らませていた。日本では、1969年から放映され、私もテレビの画面に釘付けになったファンのひとりだ。
そんな彼女がレコードを出したものだから当然のように飛びついたわけだが、単に歌う美人女優という以上のフレッシュな才能と魅力を備えていたからビックリ。天は彼女に二物以上のものを与え賜うたのだ。繰り返しレコードを聴き、アルバム・カヴァーの写真を眺めては、溜息をついたものだ。
プロデューサーは、ルー・アドラー。ジョー・オズボーン、ラリー・ネクテル、マイク・ディーシー、ジム・ゴードン、チャールズ・ラーキーらを率いるセッション・リーダーは、名ドラマー、ハル・ブレイン。ホーン及びストリングスのアレンジ、指揮をデイヴィッド・ペイチ。ほかにジム・ホーン、ダーレン・ラヴ率いるブロッサムズが参加。演奏クレジットにキャロル・キング(当時、ザ・シティ)の名はないが、キング自身のウェブサイト上のデータには、ピアノ演奏をしたと記されている。
“PEGGY LIPTON” ODE Z12-44006
1 : Let Me Pass By (P.Lipton)
2 : Natural Women (G.Goffin/C.King)
3 : Memories Of A Golden Weekend
“or How Got The Acapulco Blues”(P.Lipton)
4 : San Francisco Glide (P.Lipton)
5 : Stoney End (L.Nyro)
6 : Who Needs It (T.Stern/C.King)
7 : Hands Off The Man (L.Nyro)
8 : It Might As Well Rain Until September (G.Goffin/C.King)
9 : Wasn't It You? (G.Goffin/C.King)
10 : Lady Of The Lake (T.Stern/C.King)
11 : Honey Won't Let Me (P.Lipton)
レーベル・メイトであり、ルー・アドラー仕切りということもあり、キャロル・キングの作品が5曲も収録されているが、アルバムの随所に感じられるのは、むしろローラ・ニーロからの影響。LP未収録シングル曲「ルー」も含めると、ニーロの作品3曲をカヴァーしているということもあるが、リプトンの書いたオリジナル曲の作風といい、歌唱スタイルといい、ニーロを感じずにいられない。キングもニーロも同じニューヨーク出身のユダヤ系ということから親近感があったのだろうが、同じ歳のローラ・ニーロにより共感を抱いていたのではないだろうか。80年代終わり、ローラ・ニーロがコンサート活動を再開した際、コンサート会場には、ペギー・リプトンの姿があった。(続く)
2009年8月25日
# 002. A Fat Angel
ロック界一豊満なボディで知られ、天真爛漫な性格、気っ風の良さ故、誰からも愛される人気者だったママス&ザ・パパスのキャス・エリオット。
盛況のうちに終わったロンドン公演の翌々日、就寝中に心臓麻痺に襲われ、帰らぬ人となる。1974年7月29日のこと。享年32才だった。
あれから35回目の夏が巡り、そして今、その夏も遠のこうとしている。
1964年、グリニッジ・ヴィレッジ。
ビートルズが初出演する「エド・サリヴァン・ショー」が放映される夜、「リンゴ・スターも呼んでるから」と言って、ジョン・セバスチャンを自宅アパートに招いたのは、エリオット。リンゴの話は彼女のジョークで、実際にいたのは、”ユダヤ版リンゴ・スター”ザル・ヤノフスキーだった。キャスに紹介され、意気投合したジョンとザルはキャスとのマグワンプスを経て、後にラヴィン・スプーンフルを結成することになる。
60年代後半、"サマー・オブ・ラヴ”の季節。
ローレル・キャニオンのキャスの家には毎日、ミュージシャンや詩人、作家、バイカーなど友人たちが遊びに訪れ、サロンのようだったという。その中には、ジョニ・ミッチェル、デヴィッド・クロスビー、エリック・クラプトン、ジョン・セバスチャン、スティヴン・スティルス等も。よほど居心地がよかったのか、ジョニ・ミッチェルの作品のいくつかは、キャスの家で作られたし、クロスビー、スティルス&ナッシュ結成のアイデアが生まれたのも結成後初の練習が行なわれたのもキャスの家だった。
キャスがいなかったらスプーンフルもCS&Nも誕生せず、アメリカのロック・ヒストリーも変わっていたかもしれない。
没後35年の今年。夏から秋にかけて、彼女の映像作品やソロ・アルバム(RCA時代の)が日米で相次いで再発される。まず、アメリカの再発レーベル、コレクターズ・チョイスから出るのは、RCAでの1枚目『Cass Elliot』(1972年2月)、2枚目『The Road Is No Place For A Lady』(1972年10月)の2イン1に未発表3曲を加えたお徳用な編集盤。当初のデザインが何故か変更されたジャケット表1のアートワークがちょいと残念だが、ママ・パパ研究の第一人者リチャード・キャンベルの詳細なライナーに期待したい。
一方、日本ではパイドパイパー・デイズのシリーズとして、同じく『Cass Elliot』(ボーナス2曲予定)と『The Road Is No Place For A Lady』(ボーナス5曲予定)が個々に紙ジャケット仕様/リマスター盤としてリリースされる。
それぞれにジョン・セバスチャンやマーヴィン・ゲイのカヴァーを含む未発表曲、レア・トラックを追加してのリイシューだ。これまでBMGジャパンから出ていたパイドパイパー・デイズだが、今後は発売元がソニーになり、価格もぐっと安くなる。
米インフィニティから出たDVD『THE MAMA CASS TELEVISION PROGRAM』は、1969年に全米放映されたテレビ・ショー。ゲストにジョニ・ミッチェル、マリー・トラヴァース(PP&M)、ジョン・セバスチャンが登場し、それぞれのソロ演奏のほか、「アイ・シャル・ビー・リリースト」(ジョニ+マリー+キャス)、「ダーリン・コンパニオン」(ジョン&キャス)の共演シーンもあり、後者では、キャスがオートハープを弾きながらハーモニーをつける。クレジットは出ないが、バックバンドにジェイムズ・バートン(G)、ハーヴェイ・ブルックス(B)、ジム・ゴードン(D)、ポール・ハリス(Kbd)らが参加しており、画面に釘付けになってしまう。
2009年7月17日
# 001. Kenny and Laura
大好きなケニー・ランキンが天国に旅立ってしまった。
友人からの電話で知った彼の急逝。にわかには信じられなかった。
またすぐにあの素晴らしいライヴが観られると思っていた。
ニュー・アルバム制作中という情報やアンソロジー・ボックスを作るような噂も伝わってきていたし、私も昨年、再発(ビデオアーツ/BMG)の手伝いをさせてもらったばかりだった。
70才を目前に精力的な音楽活動を続けていたランキン本人の無念さと残された家族や友人たちの悲しみを想像すると、いたたまれない気持ちだ。
しばらくは茫然自失状態だったが、そんな中、橋本徹さんから、急遽、6月12日に追悼DJをやるので、
参加してほしいとの電話があった。
参加DJは、橋本徹、鈴木惣一朗、渡辺亨ほかランキン好きな人ばかり。
残念ながらその夜は外せない用事があるため、その場には立ち会えないが、選曲した音源を急便で送るということにさせてもらった。
ところが、僅か20数分、7~8曲前後なのだが、思い入れの強い曲が多く、なかなか決まらない。
結局、当日の朝まで選曲が終わらず、渋谷のカフェ・アプレミディに自分で届けることに。
開演の数時間前、店のスタッフに音源を託し、うしろ髪を引かれる想いでその場を後にしたわけだが、
その後、聞いた話では、たくさんのケニー・ランキン・ファンが集まり、
深夜まで彼の歌に耳を傾け、彼を偲んでいたという。
さて、その追悼DJの選曲に加えたのが、橋本さんからもリクエストのあったローラ・ニーロとの美しく濃密なデュエット曲「ポロネーズ」。作者はニーロの実弟ジャン・ニグロだ。
プロモ・シングルが一時期、市場に出回ったことがあるが、正式に発売されたかどうかは不明。
同曲は、1983年にハンク・シカーロ・プロデュース、リチャード・ティーのアレンジでレコーディングされながら何故かオクラ入りしたアルバムの収録曲。
この幻のアルバムには、もう1曲、ローラ・ニーロが天使のようなバックグラウンド・ヴォーカルを聴かせる曲があって、60年代から続くふたりの友情の証とも言うべき共演に胸が熱くなってしまう。
さらにリオン・ラッセルの名曲「ア・ソング・フォー・ユー」、「ハミングバード」をいつもの柔らかいランキン節で聴かせているが、前者は後に再録音されたヴァージョンと全く違うアレンジ。
ベスト・トラックとも言えるのが、ギターをつま弾きながら、スキャットを交え、歌われる「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」。昔のライヴ・レパートリーでファンの間でレコード化が望まれていた曲だが、正式にレコーディングしたことはないと本人も語っていたもの。しかし、ここにはしっかり収録されており、仕上がりも見事だ。
未発表になったいきさつは何だったのだろう?
一部、楽曲、アレンジに?マークが付くものもあり、完璧主義者のランキンとしては、納得いかなかったのかもしれない。それだけにそのままの形でのリリースは難しいだろうと思ってはいたのだが、いつか本人に直訴して、何らかの形で、世に出せないかと想い続けてきた。
その願いももう叶わないのだろうか。
今頃は、ローラ・ニーロと一緒に仲良く歌っているかもしれないな。
Rest In Peace, Kenny and Laura ...
*ケータイ・サイトと同様のコラムを本ページに掲載しております。